OECC会報

持続可能な開発;欠陥だらけの格子

国連環境計画(UNEP)上級顧問 平石尹彦

1970年代にUNEPが提唱していた「環境上健全な開発」(Environmentally sound development)や、より最近ではブルントラント委員会から国連環境開発会議に受け継がれた「持続可能な開発」(sustainable development)は場面、場面で、ニーズに応じて便利に使われている面がある。しかし、筆者がこれまで合計12年あまり過ごしたアフリカについて言えば、これらの言葉は主として開発の必要性を強調する際に使われているように思う。開発が進まないゆえの環境破壊があり、それが将来の開発のための基盤を破壊する、といった悪循環があることから見て、筆者はこれを頭から批判しようとは思わない。アフリカ(特に、その多くの非都市開発地域)を見る限り、「環境」と「開発」とを切り離して論ずる必要性が少ないと考えるからである。

アフリカ(少なくとも、その多くの非都市地域)では、人口の増加が環境への圧カを増加させていることは明らかである。多産は幼児死亡率がさらに高かった時代の必要性によるものである以上に、農業、放牧や水、薪の収集のための人手の確保という現実の必要性に基づくものであるから、これを一概に批判することはできない。しかし、客観的に見て、環境資源が許容しうる可能な上限一杯まで人口が増大している状況は、干ばつなどの自然の環境変化に対応するための柔軟性が失われている状況と言える。これに加え、内戦や部族争いといった、不自然な人口移動の要素が加われば、飢餓や伝染病の発生といった悲惨な状況が容易に発生すると言うことになる。常態として、ある種の極限状況にある人々が多数存在すると考えても良いのではないだろうか。

この一つの結果として、都市部への人口集中と言う現象がある。多くのアフリカの諸国が人口当たりではマイナス成長をしていることから見ても、都市への移動が直ちに職や収入を約束するものではないが、都市での可能性を追求する人々の動きを押さえるほどの魅力が非都市部にはない。経済成長がなければ都市問題の増大が発生するのみである。

この一方で、アフリカで人口を軽減する原因として最近指摘されているのがAIDSである。医療の進展により、めざましく改菩されつつあった平均余命さえ、一部の国ではAIDSのために短縮の傾向が見えているようである。人道的な配慮は当然なことであるし、AIDSによる死亡が生産年齢により多く起こること、地域社会に破壊的な影響を及ぼすことなどから見ても、AIDSを放置することが人口対策になりうるなどと考えることは、無論、許されない。

さて、人々を上に述べたような極限状況から脱出させるためには、農業(放牧を含む)の効率化、道路、灌漑給水施設等の社会資本の整備、小規模工業の開発、これらを支える教育・訓練、保健・医療の普及などが必要になる。熱帯性の激しい気候の下で、これらの事業の実施にはより多くの資金が必要になることもあるが、限られた国家予算の中から資金を探しだす(または国際的な援助を確保する)ことは容易でない。また、資金が効率的に、正しく使われることを確保する必要がある。一一 筆者はこの点が、非常に重要な要素と考えている。資金の紛失、流出等の原因となる汚職の存在が、アフリカに対する広範な不信感の原因になっているのではないだろうか。たとえば、直接投資の拡大には、それなりの信頼感の存在が不可欠である。

「失われた」1980年代が過ぎ、本来その反省に立つべきであった1990年代も終わろうとしているが、アフリカの明るい将来は見えていない。一人ひとりの人々の顔を想いながら、欠陥の一つひとつを見極め、対策を共に考えていかなければ、開発と環境という複雑な格子を作り上げていくことは困難である。

言うまでもなく、この拙文は、筆者の独白であり、国連環境計画(UNEP)の公式な意見ではないことを、最後に記させていただく。

OECC会報 1998.11(第26号)から

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